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埴原城 埴原神社 紹介

埴原神社 社殿

埴原神社 社殿 (書庫にも記入しました。)      2019/01/29
 明治末、明治政府の神社合祀政策による社殿の変遷に注目して載せました。
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拝殿
 以前は左右二本の杉の手前に神楽殿が在りました。現在は拝殿の後ろで、拝殿に続く形で、拝殿と本殿の間に在ります。
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 明治末合祀以前は十五社の拝殿でした。
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 社務所側から神饌所向きに見た拝殿です。元は茅葺きでしたが銅板に葺き替え、其の時庇を広くしています。
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 神饌所側から見た拝殿です。
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 地方の一般的な神社より立派な社殿です。
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 社務所です。明治政府合祀政策の明治末合祀以前の八幡社拝殿です。拝殿と同様に、元は茅葺きでしたが、銅板で葺き替える時庇を広くしています。
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 直会殿ですが、明治末合祀前の八幡社神楽殿です。
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 奉幣使殿です。合祀前の十五社の神楽殿と言いたいですが、先に示したように十五社の神楽殿は拝殿と本殿の間に移転してます。調べれば分かりますが、合祀前の鎮守社神楽殿の可能性があります。
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 旧八幡社社額です。明治政府による合祀政策で八幡社、十五社、鎮守社が合祀されて埴原神社となった訳ですが、それぞれの社額は拝殿内に掲げられております。
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 旧十五社の社額です。当然神号は「十五社大明神」です。大明神の方が庶民としては分かりやすいと思います。
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 十五社の奉献額です。「諏訪神社と由来」の記述が有ります。
 近世埴原郷は諏訪旗本知行所でしたから、諏訪地方の十五社と同じく、祭神は諏訪明神とその御子たち十五神です。神社の称号も「諏訪明神」の時がありました。
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 旧鎮守社社額です。やはり「鎮守大明神」です。旧鎮守社境内へ行きますと規模の大きな神社で有った事が分かります。
 明治政府による合祀政策の明治末まで、社殿整備した記録が残って居ります。